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「なぜ中小企業で嫌われるのか」 (大手企業で働いてきたオレが…)

プロフェッショナルを自負する方々に対しては、題記の命題「なぜ中小企業では嫌われるか」は少々簡単すぎて、「何を今さら」とおしかりを受けそうであるが、実際に企業の社長らからは「使えない」の声がいまだに聞こえてくる。 この点について私なりに考察してみたところ、大きく以下の4点を考えるにいたった。

○   コストパフォーマンスの問題
○   機能別組織から抜け切れない
○   「自分が一般」を捨てきれない
○   「あなたのために」という優しい営業は役に立たない

まず考えなくてはならない、最も大きな理由は、コストパフォーマンスが見合わないということである。大手企業で働いてきた方々は中小企業に比べて、はるかにコスト意識も高く、自分自身の売値について、そこそこ認識していると思うが、異なる市場における自分自身の値踏みのところに大きな間違いがある。自分自身を含めた概算コストは〇〇なので、次のプロジェクトは赤だ黒だと、やってきたかもしれないが、そもそもの単価が違いすぎる。それならば、結果を出せば良いのであろうと言うことであるが、その結果がなかなか出ない。そして、結果を出さずに高い給与を要求するのであるから、コストパフォーマンスが悪いと言われても仕方ない。

では、何故結果を出すことができないのか。

一つ目は、機能別組織から抜け切れないという点があげられる。高度に分業化された機能別組織に慣れてしまうと、全体を見る目が失われてしまい、さらには、自らの苦手意識と先のコスト意識とが相まって、他分野の仕事に対しては、自分が実施するよりも「〇〇さんが行った方が得である」と考えてしまう。また、機能別組織では、得意分野が決まっており、相互に協力して当たり前の文化があるため、属人化された人的組織の中に入ると、何故彼らは手伝わないのかという単純な壁にぶつかってしまう。ここでのポイントは、客観的には機能別組織と人的組織の違いとして議論されるのであるが、現実的には「〇〇さんが実施した方が得」「なぜ彼らは手伝わないのか」といった自分自身の意識の壁となって表れてしまい、本来の力が発揮されなくなってしまう部分に大きな課題がある。こびへつらえと言う訳ではないが、当然ながら他部門の方々へ対する、敬意を表す必要がある。

また一方で、他部門の方々から協力を得るために、様々なコミュニケーションを繰り返すわけであるが、その中でまた壁になってしまう意識に「自分が一般」というものがある。「自分は特別」という意識を、あからさまに表現する方は少ないと思うが、それだけに「自分が一般」という意識は自覚できない場合が多いようである。就職した会社のプロパー社員と話す際に、ついつい「一般的には〇〇になっています」や「△△のやり方が標準です」「大手企業では…」と言ってしまいがちであり、それを聞いたプロパー社員側は「うちの会社では、このやり方で30年もやってきている」「何を偉そうに言っているのだ」ということになり、さらなる壁を築いてしまう。結果的にコミュニケーションがうまく取れずに、パフォーマンスを上げることができない。

もうひとつ思い当たるのは、顧客との関係性の差である。大手企業で働いてきた方々は、基本的に性善説の研修を若いころから繰り返し受けてきており、その営業スタイルは「あなたのために…」ということが大前提になっている。「将来のあなたの為には、こちらの製品がお勧めです」や「少々高いですが、長い目で見ると結果として安くなります。」さらには、「今、ご購入されない方が良いかもしれません。また時期が来たらお考えください。」など、やさしい言葉にあふれている。とはいえ、たとえばあなたは小さな企業の営業マンから「あなたのために大変役に立つご提案をさせてください。」と言い寄られて、信頼できるだろうか。そんなことより、技術にかける情熱や自社の社長の考え方などを切々と訴える営業マンの方がよっぽど中小企業らしいのである。または、「とにかくよろしくお願いします。(ペコリ)」という営業マンの方が、お客様担当者にとっては、わかりやすく付き合いやすいのである。この大手と中小企業では、顧客との関係性もかなり違うということを知らないと、いきなりかつてのパフォーマンスを出すのは大変難しい。

以上の4点は、冷静に考えると容易に理解できる点だと思うが、いざ自らがその立場になると、かつて築き上げた自らの文化を変えるのはなかなか難しいものである。

「まったく、大手の人間は使い物にならない。。。」とは言われて欲しくない。
是非、その点を念頭に、気持ちを切り替えて、新たな職場で大活躍していただきたいと切に願う。

文責:横原 大

2014/08/18

社長の悪意の見抜き方(その1:会社選び)

いきなり「悪意」などと言うと、多くの社長からお叱りを受けそうなので、多少弁解するが、ほとんどの社長が「悪意」を持っているわけではない。多くの社長は、その本業とも言うべき利潤を確保するために背伸びすることが必要であり、少なからず大げさに伝えたりする。その中で、悪い影響があるものを、少々誇張した言い方をさせていただいているので、その点はご容赦願いたい。
ただし、受け取る側は、情報発信側に悪意が有ろうとなかろうと、影響の度合いを十分に見抜かないと、それなりに自分の人生がかかっているので、後々大変な思いを抱くことになる。ここでは、その見抜くためのポイントについて、いくつか述べさせていただく。

まず、結論から先に述べると、見なくてはいけないポイントは大きく以下の2点である。

〇社長の言っていることと実際の企業数字のギャップ
〇社長の言っていることと実際の社長自身の時間の使い方のギャップ

これらのギャップの中に、社長自身の思いが現れており、時にお茶目な背伸びもあるが、場合によっては大変な悪影響の有るものが存在するのである。

まず、実際の企業数値とのギャップであるが、一つ例を挙げると、会社選びをする新卒者は、企業の方々から「弊社は人材を大切にします」「ジンザイのザイの字は財産の財です」などと良く聞かされることがある。これは、はたして、具体的にどの数字に表れるのか。
たとえば大切な人材にどの程度給与としてお金を支払っているのか、と考えることができる。つまりは、実際に企業の上げている付加価値の何割を給与に投じているのか、という具体的な数値で確認してみるということである。となれば、この場合は、労働分配率(=全体の給与÷付加価値)という言葉で一般に知られており、これを調べることで、大体のイメージをつかむことはできるはずである。またもし、「人を大切にする」とは、福利厚生のことだととらえるならば、一般的な健康保険や労災保険、雇用保険とは別に、どの程度お金を使っているかを見れば良いし、もし、人材育成だととらえるならば、一人あたりの教育研修費がいくらかを見ればわかる。決して目新しいルールや取組に惑わされるべきではない。そこには、企業のためのプロモーションも含まれていると考えた方が良く、いつまでも続くとは言えないからだ。

そして次にこの調べた会社の数字や割合を、その業界の標準と比較してはたして本当にすぐれているのか、平均からどの程度かけ離れているのか、と言ったことを見ることができれば、その社長(または社員)の言うことがウソなのかホントなのか判断することができる。
以下に参考となる項目を挙げておく。これらのうちどれか一つでも気に掛けておくと、いろいろな事を理解する手がかりになるはずである。

「従業員を大切にしている」と言われたら…
・労働分配率
・離職率推移
・福利厚生費の売上や総資産割合
・教育研修費の売上や総資産割合
・教育研修部門や福利厚生部門の人数割合  等

「アイデア創造企業であり、将来性がある」と言われたら…
・開発費の売上や利益割合
・年間平均在庫や除却資産の売上や利益割合
・開発メンバーの人数割合
・産業財産権取得推移    等

「技術力が高く、顧客から高く評価されている」と言われたら…
・開発費の売上や利益割合
・技術メンバーの人数割合
・営業やサービスメンバーの人数割合
・産業財産権取得推移    等

次に社長自身の時間の使い方のギャップであるが、先の例でいうなれば、社長自身が新入社員や中途採用した方々に対して、どの程度具体的な時間を費やしているかを見ることである。「当社は人材を大切にし、特に新人教育には力を入れています。」という企業があったとするならば、果たして社長自身がどの程度新人研修に時間を割いているかを見れば良い。外部の新人研修サービスに放り込んでオシマイ!というのであれば、たしかに教育研修費は使っている分、なにもしないより増しではあるが、社長の時間はまるで使われていないので、「大切にする」という言葉の割に、まるで具体性が無いということになる。
社長の時間の使い方については、業界標準と言ったものはほとんど手に入れることはできない。この点はいくつかの企業を見る中で、一般的な社長の時間の使い方を自分なりの物差しとして、把握しておく必要がある。

以上述べてきたように、これらのギャップをはかることで、社長の思いを若干垣間見ることができるのである。
将来的に「従業員を大切にする会社」と呼ばれたいという思いが、現実は別として「当社は社員を大切にしている」という言葉になって表れているのである。

ギャップをはかり、ある種のウソを見抜き、その思いの背景を見て、まずは本当に自分にとって悪影響があるのか無いのか、これを見極めることが、会社選定にあたっては大変重要である。
特に社長交代を可能にするガバナンスを持たない(つまり社長交代が不可能な)中小企業においては、「企業」=「社長」であるので、「会社を選ぶ」=「社長を選ぶ」ことであり、そのつもりで判断する必要があるのである。

そして、ここからは少々主観が強くなるが、もう一つ重要なのは、このウソ(万が一ウソがあったとして)がちょっとしたオフサイドなのか、それとも重要な悪意あるペナルティなのかを判断しなくてはならないということである。この点に関しては、各自の主観も大きく作用するので、具体的な判断基準を伝えることはできないが、ひとつ参考となることを伝えると、このウソが社長個人の「虚栄心」に由来するものである場合は、十二分に気を付けた方が良い。たとえば、「当社はチャレンジ精神が豊富で、利益のほとんどを開発につぎ込んでいる」や「当社は社員を大切にしており、非常に離職率が低い」などと言った話が、実際には標準的な水準以下であり、かつ、その理由が単に「社長のかっこつけ」であった場合は、特に注意が必要だということである。
こういった社長は、様々なところで同じような話を繰り返し行う中で、自らがかっこよく見えるウケの良い言葉だけが残り、もはやウソをウソと思わなくなっている。完全に自分の思い込みの世界の中に生きており、業界の標準的な数字などには目もくれず、うぬぼれが強いため、他人(特に社員)の意見には耳もかさずに突っ走る。こうした社長のもとで、「社員が一番大切!」などと言われながら仕事を続け、外部と隔離されて、ろくな教育も受けずに、目が覚めたときは転職できない状況になっている方々は私の知る限りでも決して少なくない。

是非、皆さんがこうならないように、自分自身の物差しを持ち、「実際の企業数値とのギャップ」と「社長自身の時間の使い方のギャップ」に目を向けていただきたい。
言行の不一致を見れば、もしかしたら彼氏(彼女)のウソも見抜けるかもしれない。

文責:横原 大

2015/05/18

社長の悪意の見抜き方(その2:質問方法)

前回の記事で「社長の悪意の見抜き方」のポイントをお伝えしたが、今回はどのようにそれを見出す(聞き出す)のか、その点をお伝えする。

まず本題の質問方法に入る前にその心構えをお伝えしたい。とにもかくにも頭の片隅に置いていただきたいことは、「企業の社長は決してすべての人が人格者ではない」ということである。当然中にはとっても優れた人物もあり、尊敬できる方々もいることは確かであるが、その存在確率は一般の人物のそれとほとんど同じではないだろうか。本旨とは関係ないが、彼らのもっとも大きな違いは「実行したか、しないか」と「結果を出したか、出していないか」だと私は考えている。

それでは、何故そんなことを念頭に入れておかなくてはならないかと言うと、何らかの権威をもつものが、「強弁」や「詭弁」を使用すると、学生であれば、ほとんどの方が丸め込まれてしまうからである。たとえば「君たちにはわからないだろうが、私はこう考える」と社長から言われれば、自分では経験したことが無い世界だから、納得せざる得ないし、「当社の特徴の本質的な価値は〇〇〇です」と言われれば、そんなこと考えたことも無いので、「ふ~ん、そうか。」となる。実際には全く具体性の無い話であったり、何が「本質的」なのか、根拠が曖昧であっても、その時は不思議に感じなくなってしまう。『企業の社長→人格者→ウソはつかない→だから疑うのは失礼である』というある種のマインドコントロールが自分の中に起きているということを理解する必要がある。そしてこのマインドコントロールから抜け出す最大の方法が、「全ての社長は断じて人格者ではない」「実績と人格は別物」と思うことであり、社長の権威は今の自分にとって全く意味を持たないものとして切り離すことなのである。

次に本題の質問方法であるが、これは大きく以下の3点だと考えている。

〇事実やDATAを問う質問とWHY、HOWなどを問う質問とを明確に分ける
〇それぞれの質問は、簡潔に聞く
〇それぞれの質問の順序を考え、組み立てる

基本的に見抜くための質問ということが前提であるので、関係を構築するための質問でもなければ、自らを演出するための質問でもないということを前置きさせていただきたい。

そのうえで、まず最初の「質問を明確に分ける」であるが、意外にも多くの方が、何を聞きたいのかわからないままに質問している。結果として、回答もあやふやになり、なんとなく会話が成立しているように感じるが結果として重要なことは何もわからない。これを避けるために、事実を問うているのか、WHY・HOWを問うているのかを最低限区別するべきであり、そうすることで、自然と目的が絞られ、一つの質問に論点は一つになっていくのである。

また次の「簡潔に聞く」ということであるが、質問する際に、その前置きとして「私は以前〇〇をやった経験があり、貴社は△△△を大切にすると言っておりますが。。。」などと、付け加えてしまうと、こちら側の意図する点を見透かされてしまい、先回りした分析結果や論理を伝えられ、往々にして納得させられてしまう。事実をどのように読み解くかという分析は、あくまでも自分で行うという気概が必要であり、そのために、余計なバイアスが掛かることは避けるべきである。質問が短すぎて不安を感じるかもしれないが、優秀な社長であれば、質問の背景など無くとも十分に意図を読み解くであろうし、それだけの能力がある社長であれば、コンプライアンスの大切さは理解しているであろう。さらには、良い学生を演出するにあたっても、簡潔な質問をすることで、特別マイナス評価につながるとは思えないし、むしろ、飾り気のない優秀な学生を演じることになるのではないだろうか。

最後の「質問を組み立てる」ということであるが、この点について、具体的に説明しようとすると、少々紙面が足りなくなってしまうので、簡略的な説明でご勘弁いただきたい。先の様々な2つ以上の質問を組み合わせて、本意を探り取ると言うことである。基本的には、ある主張をするためには、基本となる事実があり、主張と結びつけるための背景となる基本的な考え方があるはずである。この事実と基本的な考え方の両方を確認するにあたり、例えば、どちらを先に質問した方が、より本質にたどりつきやすいかを考えるということである。実際にそれが本質であるか否かは、どんなに言葉を尽くしてもわからないので、論理づけや分析は自分自身で行い、そこに矛盾があるか否か、ギャップがあるか否かを探るのである。そして特にこの質問の順序によって答えが異なるということを知っておく必要がある。「そんなことあるまい」とお考えかも知れないが、現実に答えは変わるのである。しかも、たった数個の質問で矛盾が見つかることさえ珍しくない。もし矛盾を見つけることが出来たら大成功であり、ある種の悪意を見抜くことができたということである。
どのように質問(2度目はあり得ないが)しても、同じ答えが繰り返され、その事実と基本的な考え方により導き出された主張が、論理的に筋が通っており、前回伝えたギャップが存在しなければ、そこに悪意は存在しないので、ご安心いただきたい。

少々余談ではあるが、この質問を組み立てるという点に関しては、日本の方々よりも、インドや中国と言った大陸系の方々の方が、上手であると私は考えている。計算が早いとか、商売がうまいとか言う前に、まずは信頼できる相手であるか否か判断している。そして、そのための質問を組み立てているのである。たぶん、様々な文化、言語、価値観の中で生きるに当たり、一緒に生きる人間が信頼できるか否かを判断することは死活問題であり、長い歴史の中で、そういった質問の組み立て方が自然と身についていったのかもしれない。

そもそも疑ってかかるということが苦手な日本人ではあるが、会社法が施行されて10年、政府に頼るばかりではなく、そろそろ評価する能力を高めても良いのではないだろうか。

文責:横原 大

2015/06/18