社長の悪意の見抜き方(その2:質問方法)

前回の記事で「社長の悪意の見抜き方」のポイントをお伝えしたが、今回はどのようにそれを見出す(聞き出す)のか、その点をお伝えする。

まず本題の質問方法に入る前にその心構えをお伝えしたい。とにもかくにも頭の片隅に置いていただきたいことは、「企業の社長は決してすべての人が人格者ではない」ということである。当然中にはとっても優れた人物もあり、尊敬できる方々もいることは確かであるが、その存在確率は一般の人物のそれとほとんど同じではないだろうか。本旨とは関係ないが、彼らのもっとも大きな違いは「実行したか、しないか」と「結果を出したか、出していないか」だと私は考えている。

それでは、何故そんなことを念頭に入れておかなくてはならないかと言うと、何らかの権威をもつものが、「強弁」や「詭弁」を使用すると、学生であれば、ほとんどの方が丸め込まれてしまうからである。たとえば「君たちにはわからないだろうが、私はこう考える」と社長から言われれば、自分では経験したことが無い世界だから、納得せざる得ないし、「当社の特徴の本質的な価値は〇〇〇です」と言われれば、そんなこと考えたことも無いので、「ふ~ん、そうか。」となる。実際には全く具体性の無い話であったり、何が「本質的」なのか、根拠が曖昧であっても、その時は不思議に感じなくなってしまう。『企業の社長→人格者→ウソはつかない→だから疑うのは失礼である』というある種のマインドコントロールが自分の中に起きているということを理解する必要がある。そしてこのマインドコントロールから抜け出す最大の方法が、「全ての社長は断じて人格者ではない」「実績と人格は別物」と思うことであり、社長の権威は今の自分にとって全く意味を持たないものとして切り離すことなのである。

次に本題の質問方法であるが、これは大きく以下の3点だと考えている。

〇事実やDATAを問う質問とWHY、HOWなどを問う質問とを明確に分ける
〇それぞれの質問は、簡潔に聞く
〇それぞれの質問の順序を考え、組み立てる

基本的に見抜くための質問ということが前提であるので、関係を構築するための質問でもなければ、自らを演出するための質問でもないということを前置きさせていただきたい。

そのうえで、まず最初の「質問を明確に分ける」であるが、意外にも多くの方が、何を聞きたいのかわからないままに質問している。結果として、回答もあやふやになり、なんとなく会話が成立しているように感じるが結果として重要なことは何もわからない。これを避けるために、事実を問うているのか、WHY・HOWを問うているのかを最低限区別するべきであり、そうすることで、自然と目的が絞られ、一つの質問に論点は一つになっていくのである。

また次の「簡潔に聞く」ということであるが、質問する際に、その前置きとして「私は以前〇〇をやった経験があり、貴社は△△△を大切にすると言っておりますが。。。」などと、付け加えてしまうと、こちら側の意図する点を見透かされてしまい、先回りした分析結果や論理を伝えられ、往々にして納得させられてしまう。事実をどのように読み解くかという分析は、あくまでも自分で行うという気概が必要であり、そのために、余計なバイアスが掛かることは避けるべきである。質問が短すぎて不安を感じるかもしれないが、優秀な社長であれば、質問の背景など無くとも十分に意図を読み解くであろうし、それだけの能力がある社長であれば、コンプライアンスの大切さは理解しているであろう。さらには、良い学生を演出するにあたっても、簡潔な質問をすることで、特別マイナス評価につながるとは思えないし、むしろ、飾り気のない優秀な学生を演じることになるのではないだろうか。

最後の「質問を組み立てる」ということであるが、この点について、具体的に説明しようとすると、少々紙面が足りなくなってしまうので、簡略的な説明でご勘弁いただきたい。先の様々な2つ以上の質問を組み合わせて、本意を探り取ると言うことである。基本的には、ある主張をするためには、基本となる事実があり、主張と結びつけるための背景となる基本的な考え方があるはずである。この事実と基本的な考え方の両方を確認するにあたり、例えば、どちらを先に質問した方が、より本質にたどりつきやすいかを考えるということである。実際にそれが本質であるか否かは、どんなに言葉を尽くしてもわからないので、論理づけや分析は自分自身で行い、そこに矛盾があるか否か、ギャップがあるか否かを探るのである。そして特にこの質問の順序によって答えが異なるということを知っておく必要がある。「そんなことあるまい」とお考えかも知れないが、現実に答えは変わるのである。しかも、たった数個の質問で矛盾が見つかることさえ珍しくない。もし矛盾を見つけることが出来たら大成功であり、ある種の悪意を見抜くことができたということである。
どのように質問(2度目はあり得ないが)しても、同じ答えが繰り返され、その事実と基本的な考え方により導き出された主張が、論理的に筋が通っており、前回伝えたギャップが存在しなければ、そこに悪意は存在しないので、ご安心いただきたい。

少々余談ではあるが、この質問を組み立てるという点に関しては、日本の方々よりも、インドや中国と言った大陸系の方々の方が、上手であると私は考えている。計算が早いとか、商売がうまいとか言う前に、まずは信頼できる相手であるか否か判断している。そして、そのための質問を組み立てているのである。たぶん、様々な文化、言語、価値観の中で生きるに当たり、一緒に生きる人間が信頼できるか否かを判断することは死活問題であり、長い歴史の中で、そういった質問の組み立て方が自然と身についていったのかもしれない。

そもそも疑ってかかるということが苦手な日本人ではあるが、会社法が施行されて10年、政府に頼るばかりではなく、そろそろ評価する能力を高めても良いのではないだろうか。

文責:横原 大

2015/06/18